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◆イタリア美遊2

ヴァザーリの回廊♪

ヴァザーリの回廊とは、
フィレンツェの政務所であった
現ウフィッツィ美術館とピッティ宮殿をつなぐ
メディチ家専用の秘密の廊下です。
メディチ家の人々がプライベートなピッティ宮殿と
ウフィッツィの政務所を、
アルノ川を渡り、安全に行き来できるように
ジョルジョ・ヴァザーリによって造られました。
ウフィッツィ美術館内のとある扉が開き、
一変して音の全く無い、静寂に包まれた回廊内へ入ると、
廊下の両側に整然と絵画が掛けられています。
これぞまさに秘密の画廊。
この回廊を手掛けたヴァザーリの自画像を筆頭に
数々の巨匠達たちの自画像や作品など
メディチ家自慢のコレクションが並んでいます。
外界とは完全に遮断されたこの静かな空間には、
今も中世の時間が流れています。
----
以上、ネットよりの引用です。
権力と富のある人達は
いつの時代でも好き放題ですね。

DSC08666
ウフィッチ-美術館の窓から外を見ると、
ヴェッキオ橋がすぐ近くに見えて、
その上にある通路のような構造物こそ、
ヴァザーリの回廊です。
外の写真はデジカメ撮影okでした。
この回廊の中に入ってみたいものです。








フィレンツェのシンボル=花の大聖堂♪



・・・
・・・・・
・・・・・・・
イタリア、フィレンツェで
絵画の修復士を目指す阿形順正は、
かつて愛していながら永遠の別れを選んだ
最愛の恋人・あおいを
どうしても忘れることができずにいた。
順正の心に宿るひとつの希望、
それは10年前にあおいと交わした
“30歳の誕生日に
フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)で
待ち合わせる”
という他愛もない約束だった…。

・・・・・・・
・・・・・
・・・





名画「冷静と情熱のあいだ」の
イントロダクションです。
あ~胸キュンですね♪

そうです、まさにここは、
フィレンツェの名所の一つ
ドゥオーモがある教会で、
「花の大聖堂」とも呼ばれています。
ドゥオーモ(大聖堂)、ジョットの鐘楼、
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の
三つの建物がセットになっています。
ちょうどピサの大聖堂、洗礼堂、斜塔と同じです。

1296年から140年以上をかけて建設された
芸術作品のような教会です。
それよりずっと前から
ここには古い大聖堂が建っていたというのですから、
歴史の深さも半端ではありません。
競争相手のピサやシエナに対抗して、
もっとすごいものをと
意気込んで起工したのですが、
特にク-ポラをどうやって作るか
ずいぶん試行錯誤があったようです。
ロ-マにあるパンテオンも参考にしたのだとか。
最後は天才建築家の出現を待ったのですね。
全長153m、最大幅90m、高さ107m。
八角形の大クーポラの内径は43m。
巨大です。
中に入ると石の重厚さを感じました。

DSC08684
白、ピンク、緑の石灰岩で出来ているようです。
ペンキではないので数世紀を経ても色が褪せません。

DSC08712
このアングルでないと最上部まで写りません。
見事な建物ですね、ジョットの鐘楼です。
ここに上った方もいましたが、
私たちは付近のお店をブ-ラブラ♪

DSC08714
見事な建物ですよね。
さすがは花の聖母マリア大聖堂です。
石材の色もいい感じではないですか。
このド-ムのてっぺんに上って下界を
眺めると足がすくみそうです。
とても落書きどころではありません。

今ふと思い出したのですが、
昔、ドイツのケルンに行ったとき、
ケルン大聖堂に一人で上りました。
・・・
あのころは元気があったな~。
夢もたくさんあったな~。
どれも殆ど実現できなかったな~。












美しすぎる「最後の審判」♪


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花の大聖堂の中の、
巨大なク-ポラ(天蓋)の
内側に描かれている天井画は、
ジョルジョ・バザ-リの手になる
フレスコ画の「最後の審判」です。
ミケランジェロの最後の審判とともに
イタリアの至宝ではないでしょうか。
美しすぎます!

キリスト教では、
世界の終わりにイエス・キリストが再臨し、
あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、
永遠の生命を与えられる者と
地獄へ墜ちる者とに分けるという。
主役はキリストです。
考えてみれば一種の脅しですよね。
だから悪いことをするなよ、
ということでしょうか。
ヨハネの黙示録にあるようですが、
福音書で説かれたイエスの思想とは
大分違うような気もします。
私は一体天国か地獄かな?
ちょっと自信がありません。

それはともかく、
高所でのけぞりながら、
長期にわたって描いたとは、
絶句ですね。
高所恐怖の私には絶対に出来ません。
その忍耐力にも感服です。





ユ-ロスタ-でナポリへ♪


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フィレンツエからはバスでなく
ユ-ロスタ-で一気にナポリへ向かいます。
デザインがイタリア的でかっこいいし、
速度も日本の新幹線とほぼ同じです。
途中ロ-マを通過します。
座席は2列+2列で狭いですが、
振り子電車のためか、
揺れが少なくて快適でした。

私たちの席のひとつに、
イタリア人の老夫婦がすでに座っており、
席が違うというと、
懇願するようなしぐさなので、
仕方なく、そのままにしました。
ズ-ズ-しいイタリア人と、
聞いていたとおりでした(^^;;;。

ロ-マで彼らが降りて、
正規の席にすわってから、
今度はかっこいいイタリア男性が
あいている私の隣の席に座りました。
相棒は寝ていたので、
私は缶ビ-ルを飲みながら、
旅行ガイドをぺらぺら
めくって読んでいました。
すると、
「靴を外で脱ぐのはマナ-違反」
と書いてあるではありませんか。
実は自分は足がすこしだるくて、
ちょうど脱いだ状態で読んでました。
へ~~と思い、
ちょうど隣の男性がとっても賢そうで、
高そうなス-ツを着て、
分厚い英語の本を読んでいました。
なんとなく大学教授っぽいので、
この際と、カタコト英語で、
本当にイタリアではそうなのですか?
と質問してみました。
答えは、やはりマナ-違反とのことです。
でも大したことではないけれど、
という事でした。
ところ変われば、マナ-も違いますね。

DSC08776
中はこんな感じです。


そうこうしているうちに、
窓からベスビオ山が見えてきました。
鉱物マニアならご存知の
「ベスビアナイト」が発見された場所です。
日本でも限定されますが出ます。
ベスプ石ですね。
でもこれには「おち」がありました。
本当はベスビオ山でない場所で
先に発見されていて
別の名前がついていたのです。

そろそろかの有名なナポリがちかいです。
ここを見ずには死ねないですね。


ナポリのゴミを見て死ね?


「ナポリを見て死ね」
傑作コピ-の代表格でしょうが、
現実は違いました。
逆に誇大広告の代表格かも。

ナポリ駅を出てバスに乗り込み、
車窓見物後に、ピザレストランで夕食、
その後ホテルへ直行。
ナポリの町はデンジェラス。
ホテルから出るな。
これがお達しでした。

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実際にはよくみると、
ゴミが一部には散乱して、
ゴミ箱もあちこちにあって、
なんだか雑然としていて、
きれいではありません。
この写真はいい方です。

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もう一枚、早朝のナポリ湾
手前のお城シルエットは卵城です。

DSC08844

もう一枚。
色合いが全然違っていますが、
こちらは背景にベスビオ山が写っていて、
死ぬほどではないけれど、美景です。
ナポリに一泊したのも、
こんなに朝早くでてきたのも、ひとえに
これからわたる島のためなのです。
世界的観光地で世界遺産です。
それはカプリ島。




チ-ズレス・ピザ!

ナポリにきたらピザ!
という人が多い中で、
私は不幸にもチ-ズ大嫌い派なのです(^^;;;。

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これがシンプルなマルゲリ-タです。
ナポリのピザの定番ですね。

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チ-ズがだめな私は、
出来れば違う料理をと頼みました。
だじゃれでスパゲッテイ・ナポリタンでも
出てくるかな~と想像していたら、
でてきたのは、なんとチ-ズレスピザ!
真っ赤なトマトピュ-レが
パイ生地の上にのっかったものです。
なんだかな~(^^;;;。





いざカプリ島へ、青の洞窟へ♪



「青の洞窟を見て死ね」
最近のイタリア旅行ガイドブックは
どうもそのようにPRしているような。

相棒もそれにそそのかされ、
絶対行きた~い。
という事でイタリア行きが
トルコ行きに勝ってしまったのです。
私の行きたかったトルコ旅行は
いつの日になることやら・・・。

という事で、
その時がやってきました。

ナポリ港は世界周航の
大型客船が停泊する港。
カプリ島は帰れソレントで有名な
ソレント半島の先にあります。

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まずナポリから豪華客船を横目で見ながら、
フェリ-クラスの船でカプリ島にわたります。

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これがフェリ-(高速船)ですね。
我先にいかないと観光客で一杯になるので、
朝早いのです。


カプリ島からは走って小型船の発着場に行き、
小型船で島の裏側に回ります。

DSC08880
小型船から見たカプリ島です。
白い脈のように見える岩肌は全部石灰岩です。
海風がさわやかです。
世界的なリゾ-ト地ですね!


さらに手漕ぎボ-トに海上で乗り換えて、
青の洞窟に入ります。ここは慎重にです。
なんでも落ちた人もいるのだとか(^^;;;。


小型船では現地ガイドがサンタルチアを歌うし、
ボ-トを操る若人はさすがイケメンです。

チップの上限を添乗員が
くどいように言っていました。
法外な要求もあるのだそうです。
イタリア人は陽気で人懐っこいのがよいのですが、
いい加減で、だまされ損なところもあるので
要注意だとか。それも覇者を競った
長い地中海の歴史の淘汰の結果なのでしょう。







「青の洞窟」は地球色♪


この青の洞窟、
入り口が狭くて低くて、
満潮でも入れないし、
波が高くても入れません。
2回来ても2回ともNGな方もいるようで、
これは運だめしのようなもの。

日ごろの行いがよいせいか、
今回、無事条件をパスして入れました。
入るときには、ボ-トの中で、
足を伸ばし、体を仰向けにして、
顔が入り口の岩の天井に
ぶつからないようにして
えいやっと入ります。

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入ると、中は真っ暗、でも広いです。
最初何がなんだかわかりません。
ボ-トは中でぐるっと一周しているようです。
そして入ってきた入り口が見えたら、
幻想的な青色が目に飛び込んできました!!!

デジカメを最初動画モ-ドに
していたのですが、明るく撮れません。
断念して静止画に急遽切り替え、
相棒に撮ってもらいました。
何枚か撮っているうちに、
あれよあれよの間に時間が過ぎて、
もうでますよ~。

時間にして3分もいなかったような。


これが青の洞窟の証拠写真です。
DSC08903
PR写真のようには撮れませんでしたが、
蒼さはお分かりいただけると思います。

何故青く見えるかですが、
ここは海に向かってあいている
海食洞なんですね。
その底が白い石灰岩でできていて、
斜め横から入ってくる太陽光線を反射して、
私達の目に入ります。
その間にその上の海水を透過して、
青い光の散乱や赤い色の吸収が起こり、
残った光は青くなります。

入り口が狭い分、他の光が入らず、
散乱光がきれいに見えるわけです。
絶妙な海と地形と光のショ-なのですね。
まるで海底からのライトアップです。
カプリ島周辺には夜光虫が生息しており、
小さいながら、青い水の輝きを増すのに一役
買っているともいわれているそうです。
(真偽の程はさだかではありませんが)

太陽光線の方向も影響し、
晴天の午前中が最良だそうです。
私達がおとずれたのは、午前中ですから、
さほど晴天ではなかったけれど、
ラッキ-だったのではないでしょうか。

宇宙から見た地球の海の色が青いのは、
まさにこの散乱吸収の結果ですから、
カプリ島で輝く地球の青を見た!
といってもよいでしょう。
でもまだ死ねません。
旅はまだまだ続きます(^^)。 

DSC08916
洞窟のすぐ近くにボ-トから
陸に上がれる場所があって、
そのから階段でがけを上ります。
上から見ると、
小型船と手漕ぎボ-トの様子が
よくわかりますね。
・・・
こうして観光客は膨大なお金を
ここカプリ島に落としていくわけです。
確か沖縄本島からも
日本の「青の洞窟」にいけたはず。
もっとうまく商業べ-スにのせられれば・・。
観光立国イタリアに学ぶところは多いです。





恐怖のリフトで山頂へ♪

青の洞窟の上から車でさらに上へ行ったら、
リフトがありました。
カプリ島の山=ソラ-ノ山へ
向かっています。
聞くと、予定より早く青の洞窟にいけたので
時間が余ったからと、
このリフトに乗ることになってしまいました。

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私の大の苦手とするリフトです。
でもほかの全員が乗るようなので
私だけパスするわけにもいきません。
スキ-をやっていた人が
どうしてリフトがいやなのかと
チクチク言われるのですが、
そうは言っても高いところが苦手なのは
理屈ではなくて
体の反応なのでどうにもなりません。
チ-ズをおいしいと思えないのと同じです^^;;;。

これまでこのブログでも、
長野県の横手山のリフトや
中国桂林のリフトを紹介してきました。
六本木ヒルズ展望階や
上海ヒルズの世界一展望台もありました。
その都度冷や汗をかいて、
パニックにならぬかとびくびくで
半分目をつぶって耐えてきました。
今回も、ああ~またか~^^;;;

DSC08924

下を見ないようにしながら耐えました。
上にあがったら両手が冷たくなっていました。
交感神経が興奮しています。
自律神経系のバランスが不調です。


眼下には霧をすかして、
町並みや海が見下ろせました。
やっぱり憧れの地中海です!
すこし落ち着いてきました。

DSC08931

しかし時間はすぐに過ぎて、
上ったからには降りねばなりません。
実は帰りの方が高く見えるので
もっとイヤなのです^^;;;。
本当に半分目をつぶっていました。
相棒はそんな私の写真を撮っていました。
これで籠の中であれば、
もうすこし楽なのですが(^^;;;。

DSC08945
このあたりはまだそれほどでもないです。
大分降りたところですね。

と~にか~く苦手で~す。
振り返って見ると私の人生、
苦手なことばかりなのですが、
何とか・かんとか、しのいで来ました。
これからも多分同じでしょう(^^)。




車で下界へ♪

リフト乗り場の近くでランチの後、
車で下界へ降りてきました。

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といってもまだこの高さです。
がけに沿ってジグザグ降りるので、
ユ-タ-ンするたびに車窓もスリル満点。
海には美しい帆船が停泊しています。

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海岸ではバ-ル「青の洞窟」が待っていました。
お土産店ではここの特産という
イタリアくつの形をしたびんに入った
レモン色のリキュ-ルを購入しました。

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帰りも高速船です。
隣にはカルフォルニアから来たという
愛想のいいおじいさんが座りました。
やたら話しかけてきます。
新型インフル大丈夫かなと思いつつ、
なんだかんだとカタコトながら話しました。

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無事ナポリ港に到着。




奇跡の町=ポンペイ♪

ナポリ港から今度は反対側の
ポンペイへ向かいました。
あの、教科書にでてくる、
「ポンペイ」です。
まさに奇跡の町です。

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この向こうが紀元一世紀の世界。
奇跡の町が広がっています。



1世紀までナポリ近郊にあった都市です。
西暦63年に大地震があり、
復興の最中の79年に、
ベスビオ山の大噴火による火砕流で、
一昼夜にして地中に埋もれ、
やがて人々の記憶からも
消えてしまいました。
18世紀ごろ再発見されて、
発掘が行われ、
現在は8割方発掘が完了し、
一般公開されています。

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まだ修復途上のものもあります。

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石畳の直線道路の両脇に石造りの家が並んでいます。
計画的に作られた町並みですね。

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計画的な道路網、上下水道、浴場、
さまざまなお店、競技場など、
実に充実した公共設備です。

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これはカマドでしょうか。



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ここは娼婦の館だったと思います。

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ギリシャ風のみごとなレリ-フですね。

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こちらもなかなかの作品です。

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これ、有名な玄関のモザイクです。
テレビで見ました。
この犬が二千年前の犬とは
にわかに信じられないです。

各個人の家にも、
モザイク画やフレスコ画、
レリ-フなどがあり、
二千年という時の流れを飛び越えて、
古代ロ-マの輝きと息遣いを感じます。
これを奇跡と呼ばずして何でしょうね。

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化石のようです。
ポンペイの中で見つけました。
でも、ポンペイそのものが、
化石ですね!

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絵は、かなり精緻で、すばらしいです。
ベンガラ色彩でしょう。
赤が目立っています。
「ポンペイレッド」といわれます。
とにかくこの目で見て、
古代には古代の素敵な社会があったと、
つくづく思います。

多分私達日本の古代でも、古代なりの
すばらしい社会があったはずです。
知らないだけだと思います。

ずっと歩き詰めの一日だったので、
さすがにくたびれ、
足も痛くなりました。
でもまだまだ旅は途中。
これからイタリアの靴の
かかとまで行きます。







おとぎの町=アルベロベッロ♪


アルベロベッロは、
イタリア半島の南部、
かかとの部分にあたる小さな村。
世界遺産に指定されています。
ポンペイから延々とバスに乗って、
途中田舎の山の上のレストランで
パスタを食べて、
ようやく夜中にホテルに着きました。

人口1万人のアルベロベッロの村の
モンティ地区とアイア・ピッコラ地区に
約1500のトゥルッリといわれる
ユニークな家屋がが集中しています。

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トゥルッリは、地中海沿岸で採れる
石灰岩の薄い石板を同心円状に並べた
円錐形の屋根をもつ一風変わった形の家で、
白い漆喰塗りの壁と灰色のとんがり帽子の
屋根が大変美しい風景を作り出していて、
まるでおとぎの国のような雰囲気です。

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1635年にこの地域に建てられる建造物は
「トゥルッリによること」という条例が発布され、
それが1795年まで実効力をもっていたため、
少しずつ技術改良を加えながらも
独特の造形と雰囲気をもつ町並みとして発展し、
1923年には国の保存地域に指定され、
保存・保護されてきたのです。

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トゥルッリがこの形になったのは
深いわけがあります。
今のような町ができる前、
人々は石だらけの痩せた土地で暮していました。
15世紀末、この町を支配していたナポリから
アクアヴィーバ伯爵が送り込まれました。
当時、ナポリ王は伯爵から
家の数によって税金を取っていました。
しかし、アクアヴィーバ伯爵は、
税金をごまかすために
すぐに解体できる家作りを指示しました。
国の役人がやってきたときに屋根を壊して、
これは家ではないと主張する為でありました。
農民たちはアクアヴィーバ伯爵の命令で
何度も解体と建設を
繰り返さなくてはならなかったのです。
農民たちは家の形と構造を必死に考え、
ついにトゥルッリを作り上げました。
この円錐形の頂部の石をはずすと、
屋根を作っている円錐型の石組が
崩れるようになっているそうです。
アルベロベッロは人々が苦難の末に
築き上げた町だったのですね。

以上はネット情報から引用した説明です。
税金逃れの苦肉の策が、
いまや世界遺産になったのですから
歴史の皮肉も一級です。
実際に結構人が住んでいて、
日本からここに嫁いだ人もいて、
お土産屋さんをやってました。
壁掛けなど買いました。

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さすがはイタリアですよね。
とにかく斬新で面白いデザインです。
南なので、暖かくて日差しも強くて、
白壁がまぶしかった。
どこでも写真スポットです。

別のお店ではワインも売っていて、
試飲したひとつがとてもおいしくて、
一本予定外で買ってきました。

日本にもこんな素敵な村があったなら・・・、
とにかく見所満載のイタリアです♪




石穴住居の町=マテ-ラ♪


場所はイタリアの靴の
土踏まずの位置です。

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メインの通りはこんな感じで普通の田舎町に見ます。
でも一歩裏通りに入ると、変な光景が広がります。

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石で出来た町ですね。


マテーラのあるグラヴィナ渓谷は
石灰岩の侵食により形成され、
渓谷には洞窟住居が
何層にも重なっています。

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DSC09329

この洞窟住居が
いつ頃から作られたかは不明ですが、
マテーラ周囲からは、
旧石器時代の出土品も発見されているため、
かなり古くからの歴史があるのでしょう。
中世初期にはイスラム勢力を逃れた
修道僧達の隠れ家ともなっていたそうです。

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あちこちに貝化石があります。
かつて海底だった石灰岩地帯だとわかります。
ついこういうものに目がいくのが、石好きの癖ですね。


こういう洞窟の家がル-ツのマテ-ラ。
家や建物は文化の根幹です。
石灰岩が深くかかわるイタリアの文化の、
これもひとつの枝なのでしょうか。
いや根幹のようにも見えてきます。

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10月だというのに日差しが強くて、
Tシャツ一枚でOKでした。
家の脇には背の高いサボテンがありました。
なんだかマカロニウエスタン?(^^)。
かなり古いですね(^^;;;

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洞窟内のレストランは、
不思議なくらい涼しいです。
ビ-ルが最高でした♪









超美!ヴァチカン美術館♪

夜明けごろ目を覚ますと大雨、
おまけに雷までなっていました。
朝も降り続いています。
ホテルでフロントに聞くと、
雨は一日中降るという予報とか。
え~~(^^;;;と思いましたが、
バスに乗ってまもなく雨はやみ、
空には青空が出てきました。
さすがは晴れ晴れコンビです。
昨夜の大雨は、ロ-マをきれいにして、
私達をすがすがしく迎えてくれました。

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ヴァチカン美術館前では
ガイドのドナウドさんが既に来ていました。
彼は日本語がたいへんお上手。
自らをドナちゃんと言い、
芸人顔負けのギャグで
私たちを楽しませてくれました。

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入り口にはすでに列が出来ていました。
その前には出店まで出来ていました。

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ヴァチカン美術館はすばらしい美の宝庫です。
歴代の法王のコレクションでしょうか。
ドナちゃんが写真にすこし写っています。

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天井も普通ではありません。

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リッパな壷ですね。
どんな石なのかはわかりませんでしたが、
多分ライムスト-ン?



バチカンで超有名な彫刻のひとつが、
「ラオコ-ン」です。

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これです。
紀元前の作品であるとされますが、
その筋肉美、躍動感、構成美、動的バランス、
海蛇にかまれた苦痛の表情、悲壮感などが
的確にとらえられていて、
あのミケランジェロに
大きな影響を与えたといわれています。
本当にすばらしい彫刻です。

ギリシャ・ローマ時代の彫刻、
エジプト・エトルリアの遺品等を見て、
システィナ礼拝堂に向う廊下の天井です。
黄金色にライトアップされていて
まばゆいばかり。
ベルサイユ宮殿や

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両側の壁には当時の地図が
沢山掲げられています。
有名な地図のギャラリ-です。
さまざまな地図がある中で、
お膝元イタリアのみごとな地図がこれ。

DSC09547



ここは写真撮影はだめとは
言われなかったです。
皆さんバチバチ撮っていました。
この長い廊下は120mもあるそうで、
とにかく絢爛豪華で、
ぽかんと口が開いたままでした。

この廊下を渡ると、
ラファエロの部屋に入ります。
その後システィナ礼拝堂に出ますと、
修復の終ったミケランジェロの天井画と
最後の審判の大壁画が迫ります。
特に創世記の絵がよかったです。
でもここは写真撮影一切だめ。
そこで、ヴァチカンに入って
まず最初に説明された
ミケランジェロの最後の審判の
絵の一部を見ましょう。
DSC09494
これはほんの一部です。
全体が見たい方は、ぜひネット検索願います。

ユックリ一日居座って、
じっくり作品と対峙したいのですが・・・。
人が多くて、作品も多くて、
あれよあれよで通り過ぎてしまいました。
頭の中が混乱して、何がなんだか
次第にわからなくなってしまいました。





サンピエトロ大聖堂というお墓♪

ローマの総督であったポンテオ・ ピラトによる裁判によって、イエスは何の罪もない事が証明され、宣言された後、ピラト はイエスをユダヤの民衆による裁判にかけるように、人々の前に引き出しました。ユダヤ 人の指導者を含む、そこに集まった民衆は、イエスの運命を決める権利があるのを知ると、 「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫びました。そして、 この時点から先、6時間に及ぶ恐ろしい出来事は、この一行の文に要約されています。 「そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。」ヨハネ19: 16

磔刑とは、怖ろしい刑罰です。手の神経を釘が打ち抜くのです。その激痛たるや何と比較すればよいのでしょうか。体重は両腕の釘にかかり、激痛はやむことがありません。
しかも腕と肩は体重がかかって強く引っ張られ、関節が外れて伸びきります。
そのために肺が息を吸った状態のままの姿勢にされるため、呼吸が困難となり次第に死んでいくのです。


それから時は流れて・・・

ペテロは使徒たちのリーダー的な存在だったのですが、イエスの死後、各地へ布教の旅に出て、当時の古代ローマ帝国の首都であったローマにたどりつきました。ところが当時のローマは、皇帝ネロによるキリスト教弾圧の真っ只中。というのもローマ皇帝ネロは、ネロポリスという新しい首都を建設するため、ローマを灰燼に帰そうと決心し、ローマに火を放ちます。ネロの非道に群衆が立ち上がると、ネロは放火の犯人としてキリスト教徒に弾圧を加えます。ペテロは一度はローマを離れようとするのですが、その途中でイエスが現れました。ペテロが「どこへ行くのですか?」と呼びかけると、イエスは「あなたが行くのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えたのだとか。

その言葉で自らの使命を悟ったペテロは、再びローマへ戻り、殉教したそうです。そのとき、「イエスと同じ十字架では恐れ多い」と、自ら上下逆の「逆さ十字」を選んではりつけになったのだとか。それ以来、逆さ十字のことを「聖ペテロ十字」と呼んだりするそうです。

さかさ十字の場合、呼吸困難で絶命するのではなく、失血死ではないかと思います。これは相当過酷な刑罰です。簡単に死ねませんから。涙なくして語れないお話です。
-----------------------

一部ネット引用を含めて、
話が長くなりましたが、
その聖ペテロのお墓の上に、
サン・ピエトロ大聖堂は建っているのです。

ヴァチカン美術館、システイ-ナ礼拝堂と
ほぼつながっています。
とにかくリッパで歴史ある建物です。
子供の頃の教科書の表紙だった記憶が
ぼんやりとあります。
今その建物の中にいるというだけで、
奇跡のような気がしてきます。

真っ青で抜けるような秋空、
最高のロ-マです!

なんだか世界の中心、歴史の中心に
立っているような気がしてきます。

いくつかの写真を載せますね。

DSC09550
これからあの中に入ります。

DSC09566
とにかく天井が高いです。
DSC09564
これが廊下の天井です。

DSC09562
これは中央のク-ポラではありません。

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これが中央のク-ポラです。
この周りを動画で撮影したのですが、
楽天には載せられませんでした。残念!

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足元がまた美しいです。




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これはペテロの献金といいます。
いろいろな言語で書かれています。
早い話がロ-マ教皇への献金ですね。

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これから広場にでます。

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翌日ロ-マ強行関連の重要な行事があるとかで、
広場の中央部分は立ち入り制限されていました。
豪華絢爛、贅を尽くしたヴァチカン歴史遺産の
中枢でのキリスト教の行事。
でもペテロの生涯は、それとは対極にありました。

ペテロがどういう方だったか、
ほんの一部ですが、
ぜひ心の片隅においてください。
「一粒の麦」がここにあります。






真実の口♪


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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会に
それはありました。
教会の正面の奥の壁面に飾られている真実の口です。
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本は下水道のマンホ-ルだったとか。
そこに刻まれた太陽神の口に手をいれると、
嘘つきは手首を噛み付かれるというお話です。

あの『ローマの休日』において、
グレゴリ-ペックが手首がなくなったように引っ込めて
アン王女を驚かせるシ-ンで有名ですね。

世界中からの観光客が長い列を作っていました。
ガイドのドナちゃんに写真撮影をお願いして、
1枚は普通に手をいれて、
手首がなくなったポ-ズでもう一枚。
楽しい思い出です。

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実際にはこんな感じで写真撮影ですね。
私たちの前の例の3人組です。
私達といつもお互いに写真を取り合っていただき、
とてもありがたかったです。



スペイン広場で♪


・・・・・・・・・・・
アンがスペイン広場でジェラートを食べていると、
彼女の後を追ってきたジョーに声をかけられる。
偶然の再会を装う彼の
「思いきって1日楽しんだら?」という声に押され、
アンは宮殿に戻るのを夜までのばすことに決める。
・・・・・・・・・・・
名作「ロ-マの休日」のワンシ-ンですね。






トレビの泉♪






ロ-マ三越♪






コロッセオ♪

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カンツォ-ネの夜♪

あこがれの地、ロ-マの夜は、
カンツオ-ネを聴きながらの夕食でした。
添乗員さんの計らいで、
相棒の誕生日が旅行期間だったというので、
べネチアングラスのペンダントを
プレゼントされました。
私からのプレゼントは何かと周りから言われ、
答えに窮したのには困りましたが(^^;;;。

だってスペイン広場の近くのブランド街では、
たやすく買えるようなものはなかったですし。









地下鉄♪






聖パウロの愛♪

パウロはローマへ赴く前に、
現地の信徒たちに宛てて一通の手紙を記している。
彼はその手紙のなかで、次のように論じている。

「人は、正しい行いを積むことによって、神の義と認められて救いに導かれるのではない。人が神の前に義と認められるのは、ひとえに神の子イエス・キリストを信じることによる。律法を守り行う者は、かえっておごり高ぶることになりかねない。しかし、イエス・キリストに現された神の義は、律法を守れない者にも、律法を知らない者にも、救いの可能性を開いたのである。神の子であるイエス・キリストが十字架につけられた意味は、ここにある。これを信じ、これを受け入れるとき、人は無条件で義とされる。神の前には、ユダヤ人と異邦人の区別も、奴隷と主人の区別も、男と女の区別もない」

彼がしばらく滞在したことのあるコリントの教会は、パウロが去ってのちしばらくすると、信仰の立場の違いや人間関係における対立のために、互いに一致できない状態が続いていた。 そこでパウロは、コリントの信徒たちに宛てて複数の手紙を書いている。

「神の子であるイエス・キリストが受けた十字架という恥辱に、神の栄光の力が現された。キリストの福音はそこに始まる。信仰の原点もそこにある。 それゆえ信徒は、みずからを誇ってはならない。人間は『土の器(うつわ)』にすぎないのである。だが、イエス・キリストを神の子と信じるとき、十字架に現された神の力が『土の器』を突き動かす」

「人が並はずれた能力を持ち、賞賛に値する行為を果たしても、そこに愛がなければ無に等しい。愛こそは人を謙虚にし、信仰に導き、希望を抱かせる。知識は、いずれすたれよう。永続するのは信仰と希望と愛である。そのなかで、最も偉大なものこそ愛である」

この言葉は、生涯結婚しなかったパウロが、後世の全人類に向けて残した「愛の賛歌」である。
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これはネットからの引用です。
これと似た言葉が、
ご存知の仏教の親鸞聖人が著した「歎異抄」にあります。
現代訳をネットから引っ張ってきました。
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「阿弥陀仏の誓願の不可思議なはたらきに
お救いいただいて、必ず浄土に往生するので
あると信じて、念仏を称えようという思いがおこるとき、
ただちに阿弥陀仏は、その光明の中に摂め取って
決して捨てないという利益をお与えくださるのです。

 阿弥陀仏の本願は老いも若きも善人も悪人もわけ
へだてなさいません。
ただ、その本願を聞きひらく信心がかなめであると
心得なければなりません。
なぜなら、深く重い罪を持ち、激しい煩悩をかかえて
生きるものを救おうとしておこされた願いだからです。

 ですから、本願を信じるものには、念仏以外のどんな
善もいりません。
念仏よりもすぐれた善はないからです。
また、どんな悪も恐れることはありません。
阿弥陀仏の本願をさまたげるほどの悪はないからです。
 このよに聖人は仰せになりました。」
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